はじめに
人を支配しようとしていたわけじゃない。
でも、支配される側にいた時間が長すぎて、
「今なら相手を動かせそう」と感じたとき、
少しだけ優位に立てた気がして安心する。
そんな自分を責める必要はない。
それは、自分の主導権を取り戻したサインだから。
💬「支配できそう」と思った瞬間に気づいたこと
最近、ふと「旦那を支配できそうだな」と思った。
それは、相手をコントロールしたいわけではなく、
「もうあの頃のように支配されない」と感じた瞬間だった。
自分の言葉で物事を決められる。
感情的に揺さぶられず、冷静に線を引ける。
相手がどう出ても、私の生活は崩れない。
これこそが、私が長い時間かけてたどり着いた“自由”なのかもしれない。
⚖️「支配されない」を選ぶと、世界が静かになる
人を変えようとしたり、思い通りに動かそうとしたりすると、
必ず摩擦が生まれる。
でも、「自分の領域だけを整える」と決めると、
一気に世界が静かになる。
旦那を“可哀想な人”と思ったのも、冷たいわけじゃない。
ただ、もう“同じ地面に立っていない”だけ。
そこに上下はなくて、別々の人生の段階にいるだけなのだと思う。
🌿中立の強さ
中立でいることは、何もしないことじゃない。
揺れないように、自分の中で日々整理して、
感情を選んで、距離を測っている。
それは静かな闘いであり、穏やかな抵抗でもある。
支配されないことを選んだ私は、
もう、誰かを支配して満足を得る必要がない。
💡これからのこと
「相手がどう出るかによって、自分も変える」
という柔軟さは残しつつも、
“軸”はもう他人に預けない。
悲しみも怒りも、時間が経てば静かに溶けていく。
その中に、
“支配でも愛でもない関係のあり方”を
少しずつ見つけていけたらと思う。
🕊️あとがき
長く一緒にいた人を“可哀想”と思えるようになったとき、
それはもう、心の中でお別れが始まっているのかもしれません。
今は、無理に離れるでもなく、
追い詰めるでもなく、
ただ“自分の世界を整える”だけ。
その静けさの中に、ようやく呼吸できる場所を見つけています。


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