止まった時間の中で、私だけが動いていた

うつ病と家族の現実

先日、旦那がうつ病で1ヵ月ほど入院しました。
きっかけは、職場での人間関係のこじれ。
いつもと同じように「同じ理由」で崩れていく彼を見て、私はもう驚かなくなっていました。
ただ、今回は何かが決定的に違っていたんです。

入院前の旦那は調子の悪い時期真っ只中で、会話をしても答えが返ってこなかったり、
一緒にいてもどこか遠くにいるような感覚がありました。

食事を整え、話を聞き、励まし続ける毎日。
でも、どれだけ寄り添っても彼の中の「生きる力」は少しずつ小さくなっていきました。
気づけば、私の中の光も一緒に小さくなっていたんです。

入院が決まった日の夜、私は静かにホッとしました。
罪悪感と安堵が入り混じった、不思議な感情でした。
「これで少し、呼吸ができる」——そんな言葉が心の奥から出てきたんです。

旦那がいない家は、驚くほど静かでした。
朝、カーテンを開ける。
愛犬がのびをして、こちらを見上げる。
ただそれだけで、“日常”が戻ってきた気がしました。

何もしていないのに、心が軽い。
それは、誰かの不安や怒りに合わせて生きていた時間が止まったから。


やっと、自分の時間が動き出した瞬間でした。

入院先での旦那は、相変わらず弱気でした。
「意味があるか分からない」「どうなるか分からない」と、
治ることよりも「家に帰る理由」を並べていました。

私はもう、それ以上は何も言いませんでした。
ただ「ゆっくり休んで」とだけ伝えて、電話を切りました。

心が壊れている人に、正しさを押しつけても届かない。
それは9年の間に、痛いほど学んだことです。
だから私は、その時間を“自分を整えるための時間”に変えることにしました。

旦那がいない間、私は少しずつ動き始めました。
やりたかったを始め、ブログを書き、
ずっと後回しにしてきたことに、手をつけていきました。

家の中の静けさが、こんなにも心地いいなんて知らなかった。
“止まった時間”の中で、私だけが動いていたんです。

彼は、心が弱い人です。
それを責める気はありません。
でも、弱さを理由に“止まり続けること”を選ぶなら、
私はその隣で一緒に止まることはできません。

入院は、彼の時間を止め、
同時に、私の時間を解き放ちました。

あの静けさの中で感じたこと。
——私はもう、誰かに引っ張られて生きたくない。
それが、私の“これから”の始まりでした。

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