「死ぬ」と言われたときに揺れないために 線を引く勇気と中立の立ち位置

うつ病と家族の現実

うつ病のパートナーと暮らしていると、
話し合いの途中で「死にたい」「死んだほうがいい」という言葉が出ることがあります。

最初は心臓が止まりそうなくらい動揺して、
「そんなこと言わないで」と必死に止めたり、
どうしたらいいか分からなくなったりしました。

でも、時間が経つうちに気づいたんです。
これは「死ぬ・生きる」という話ではなく、
“話を止めるための言葉”になっているのだと。


💬「死ぬ」と言われるたびに

うちの場合は、私が真面目に生活の話をするときほど「死ぬ」が出てきます。

仕事、家計、これからの生活。
現実的な話題を出すと、突然「どうせ俺なんて」「もう生きてても意味ない」と返される。
でも本当に命を絶つ準備をしているわけではない。
そう気づいた時、私は静かに距離を取ることを覚えました。


💡私が決めた返し方

「死ぬことはあなたの自由です。私が決めることはできません。」
「私が話しているのは、生きるか死ぬかの話ではありません。」

この2つの言葉を、自分の中のルールにしています。
冷たいようでいて、実はとても大事な“線引き”です。

命の選択はその人自身の問題。
私は、今後の生活と自分の人生をどうするかを考えているだけ。
そこを一緒にしてはいけないと、自分に言い聞かせています。


⚖️支えることと、巻き込まれることは違う

私は「うつ病の人を支えること」は間違いではないと思っています。
でも、「自分の生活を犠牲にして支える」ことは違う。

相手の調子が悪いとき、どうしても同情や罪悪感が出てきます。
けれど、支える側が倒れてしまったら、誰も幸せにならない。

今の私は「頼まれたらやる程度」に関わり、
あとは静かに自分の時間を取り戻しています。
同居人として最低限の生活を共有しながら、
感情の距離をしっかり保つ。
それが今の私にとっての“優しさの形”です。


💸現実的な線引き

もし今後、旦那が働けず、私が養うような形になったら、
そのときは離婚で良いと思っています。

家も車も私名義。
望むのは、車のローンを自分で払ってくれることくらい。
それ以上は求めていません。

裁判や争いに時間とお金を使うより、
愛犬との暮らしや、自分のやりたいことに使いたい。
その方がずっと健全だと、今は思えます。


🧱線を引くことは冷たさではなく、回復の始まり

「死ぬ」と言われても、
今では落ち着いて「それはあなたの自由」と返せるようになりました。

それ以上深入りせず、静かに会話を閉じる。
それだけで、心の中にスペースが生まれます。

線を引くことは、突き放すことではありません。
自分の人生を取り戻すこと。
中立でいることが、冷たさではなく、
一番誠実なやさしさなのだと思います。


🌿あとがき

この数年で、私は「支えることの難しさ」と「境界を持つ強さ」を学びました。
人を変えることはできないけれど、
自分を守ることはできる。

そして今は、
「理解しようとしすぎなくていい」
「無理に寄り添わなくていい」
そう思えるようになりました。

愛犬と過ごす時間や、静かな日常の中に、
やっと“自分のペース”が戻ってきています。

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