はじめに
うつ病の夫を支える生活を、何年も続けてきました。
感情というより「夫だから」「家を回すために」という義務感で続けてきた関係です。
愛しているから支えるわけではなく、
ただ日々の争いを避けるために、黙って生活を回している。
それでも、なぜか離婚はしていません。
したいと思う日もあるのに、行動に移せない。
その理由は、自分でもよくわかりません。
支えることが習慣になっていた
うつ病の夫と暮らす日々の中で、
「支える」というより「気を張り続ける」生活が続いていました。
・相手の機嫌を読み取る
・言葉を選んで話す
・怒らせないように静かに動く
それがいつの間にか、私の日常の“癖”のようになっていました。
気づけば、自分の感情を後回しにすることが当たり前になっていたのです。
これが「支える」という形なら、
私はもうずっと前から壊れかけていたのかもしれません。
距離を取るという選択
ある日、私は「支えるのをやめる」と決めました。
といっても、家を出たわけでも、離婚届を書いたわけでもありません。
ただ、自分の心の中で線を引いたんです。
夫の機嫌に合わせない。
話しかけられなければ黙って過ごす。
余計な言葉で自分を消耗させない。
それだけで、ずいぶん呼吸が楽になりました。
“逃げた”のではなく、自分を守る距離を取ったという感覚です。
この小さな線引きが、私を現実的に保ってくれています。
離婚という選択肢と、そこにある静けさ
離婚は、何度も頭に浮かびました。
「一人になれば楽になるのでは」と思うこともあります。
けれど、不思議と、行動に移すほどの力は湧いてきません。
情ではなく、責任でもなく、
ただ“今は動かない”という静かな選択をしているだけ。
人は「離婚しない=我慢している」と言われがちですが、
そうとも限らないと思います。
争うより、壊すより、
ただ静かに距離を保ちながら共存する方が、私には合っているのかもしれません。
ニュートラルに戻るということ
「支える」でもなく、「離れる」でもなく。
ただ、感情に飲まれず、淡々と生活を続ける。
それが、私にとっての“ニュートラル”です。
誰かに理解されなくても構いません。
自分の中で納得していれば、それで十分です。
この状態を保つことで、ようやく呼吸ができるようになりました。
うつ病の夫を支えることも、離れることも、どちらも正解ではありません。
ただ、「自分を壊さない」という一点だけが、今の私の基準です。
おわりに
うつ病の家族を支えてきたけれど、
もう感情が動かない、疲れてしまった――そう感じる人は多いと思います。
離婚してもいい。離婚できなくてもいい。
どちらを選んでも、誰にも責められることではありません。
私もまだ、答えを出せずにいます。
でもそれでいいと思っています。
“答えを出さないまま生きる”ことも、
立派な選択のひとつだからです。
このブログでは、
支えすぎない生き方を少しずつ記録していこうと思います。
同じように迷いながら生きている誰かの、
心が少しでも軽くなりますように。

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