はじめに
争いもなく、言い合いもなく、
ただ静かに距離を置いている。
相手の動きにいちいち心を揺らさず、
こちらも何かを求めない。
それなのに、不思議と心が軽くなっている。
支配の終わりは、別れの始まりでもあり、
新しい関係のはじまりでもあるのだと思う。
支配が終わると、沈黙が訪れる
相手を変えようとしないとき、
会話の数は減る。
でもそれは、悪いことではない
沈黙の中に、「もうこれ以上は触れない」という理解が生まれる。
それは、あきらめではなく、静かな尊重だ。
「この人はこの人のまま生きるんだな」
そう受け止めた瞬間、自分の中の緊張がほどけていく。
「分かり合えない」ことを受け入れる
長い間、分かり合おうと努力してきた。
病気だから仕方ない、性格だから仕方ない、
いろんな理由を探して、衝突を避けてきた。
でも今は、
「分かり合えないことを認める」方が、ずっと穏やかだと思える。
それは冷めたわけではなく、
現実をそのまま受け入れる優しさ。
もう、無理に混ざり合わなくてもいい。
「無理に良くしようとしない関係」が、ちょうどいい
修復も、再生も、やり直しもいらない。
ただ「これが今の形」として置いておく
そこに愛情があってもなくても、
怒りが残っていても構わない。
互いに干渉せず、
必要なときだけ交わる。
それくらいの距離感が、今の私には一番ちょうどいい。
静けさの中に見つけた自由
相手を変えようとしなくなったら、
自分の一日が驚くほど自由になった
朝の空気がきれいに感じる。
愛犬と歩く散歩の時間が本当に楽しい。
誰かの顔色を見ずに、自分の呼吸で生きられる。
支配の終わりは、孤独ではなく回復の始まりだった。
「自分の世界を自分で整える」という静かな自由。
その中に、私の居場所がある。
あとがき
もう誰もコントロールしないし、
誰にもコントロールされない。
その代わりに、「尊重する距離」を覚えた。
人との関係には、近すぎても、遠すぎてもいけない場所がある。
ちょうどいい温度でつながること。
それが、いまの私のテーマです。

コメント